ル・ジャルダンブルー
テーマは「一生勉強、一生青春」
小さな頃から職人に憧れていた
石川県出身の福田さんは小さな頃から身近に“もの作り”をする人が多く、自然と職人への憧れが強くなったという。また幼少の頃から母親が料理やお菓子を作るのを手伝っている内に「将来はコックさんかお菓子やさんになりたい」と願うようになった。
高校の調理科を卒業した後、大阪にある「エコール 辻」本校に入学をして1年かけて調理やお菓子作り全般について学んだ。「エコール 辻」本校を卒業してからは5~6年の間に東京や神戸にあるフランス菓子店数店を回って修行を積むと共に、フランス菓子について基礎から学んだ。数年ごとにお店を変わったのは、シェフによってお菓子に対する考え方や方向性などが異なる上に、ケーキやチョコレート菓子、パンなどの作り方に違いがあって多様性を学べるからだという。
フランスでの2年半の修行
30代半ばには渡仏して、フランス菓子の本場で研鑽を積んだ。その際に「給料はいらないので、住み込みで修行をさせてほしい」とお店に頼んで、2年半で3店舗を回った。フランスへ渡った理由は何よりも「世界を代表するパティシェのレベルを知りたかったから」だという。そして自分のお店を出店する前に「フランス菓子の本場を見ておかなければ」という思いもあったという。
同様に「フランス語を話せずして、フランス菓子については語れない」という思いから、現在も多摩市永山の「カルチャーセンター」でフランス人講師からフランス語を教わると共に、フランス人全般の考え方も学んでいるという。フランスについて学べば学ぶほど「今まで以上に勉強したくなる」と言う福田さんは、子どもの頃には「学校も勉強も嫌いだった」というのだから人生は面白い。
「世界大会」へ出場を果たして
フランスから帰国した福田さんが次に目指したのはコンテストへの出場だった。2001年の全国大会の決勝戦では“チョコレート”部門で優勝を果たして、同じ様に“アメ細工”部門と“氷細工”部門で優勝した2人とチームを組んでフランスへ渡り、お菓子のワールドカップとも呼ばれる「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」へ出場をして、リーダーとして見事、チームを準優勝に導いた。
この時のテーマは「アムール」(愛)で、たった一人で約9時間かけて高さ1mにも及ぶハート型のチョコレートのオブジェを製作した。大会当日を振り返って「人生で一番辛くて、長く苦しい一日でした」と語る福田さんは、準優勝が決まった時は喜びよりも疲労感と安堵感の方が大きかったという。
“フォンテンブロー”の森に憧れて
パリの中心地にある「ガール ド リヨン」駅から電車で30分位行った所に“フォンテンブロー”という山と緑に囲まれたパリ郊外の街がある。福田さんはフランスへ留学していた際にこの街のケーキ屋さんで修行をしていて、お店併設のカフェは地元の人たちの憩いの場となっていたという。
フランスから戻った福田さんは休日になると、都心や下町を中心に自分のお店の出店場所を求めて歩き回っていた。ある時、知り合いの紹介で訪れた多摩市永山の地に足を運んだ時、トンネルの向こうの緑に囲まれた風景を目にして「ここはまるで“フォンテンブロー”の森の様だ」と感動すると共に、この地にお店を開くことを決意したのだという。
店名の「ル・ジャルダン・ブルー」は「青い森」という意味で、多摩市の緑豊かな風景のイメージともよく合っているが、実はこの店名を思いついたのはフランスへ留学していた時のことだという。
「一生勉強、一生青春」
現在、お店では一年を通して、平日には約40種類のケーキを、そして週末には約50種類のケーキを提供している。その内“記念日”をお祝いする為のホールケーキは約20種類で、福田さんは「記念日といえば、自然とうちのお店を思いだしてもらえるようになりたい」という。またケーキの他に焼き菓子も常時、50種類ほど用意している。
スタッフは現在12名で、そのまとめ役であるオーナーシェフの福田さんは、毎朝4時台には出勤をしてケーキの仕込みに入り、夜の20時か21時くらいまで働き続けている。若いスタッフの中にはフランス帰りのメンバーもいて、逆に彼らから最先端の道具やテクニックなどを教わることも多いという。
常に時代に追いつこうと努力する福田さんの座右の銘は「一生勉強、一生青春」というものだ。そんな福田さんの目指す未来は「自分のお店を東京ひいては日本を代表するケーキ屋にしたい」というもので、その静かな口調には並々ならぬ決意を感じると共に、この人ならいつか自分の夢を実現させるに違いないと思わせる何かがある。
- 店名
- ル・ジャルダン・ブルー
- 住所
- 〒206-0014 多摩市乞田1163
- 連絡先
- 042-339-0691
- 営業時間
- 10:00 – 20:00
- 定休日
- 火曜日