一口には語れない多摩市の魅力を、それぞれの専門分野でご活躍の皆さんから、語っていただく「知って・愛して・多摩市」を始めました。
8回目の今回は、テレビでもおなじみの、多摩大学学長の寺島実郎氏に、「多摩地域に込められた歴史・DNA」「異次元高齢化とは何か」「多摩地域の交通インフラの変化を視野に入れる重要性」その相関性について執筆いただきました。ぜひご覧ください。
そして、ちょっとでも興味を持ったら一度足をおはこびください。
あなたの自覚が必要な理由~若者から高齢者まで
多摩大学学長 寺島実郎
多摩のDNAとは何か
自分が「どの地域でどのように生きているのか」についての知見が深いほど地元への愛着も深まり、自分は何者かという問いかけもできる。雑誌「岩波書店『世界』」に「脳力(のうりき)のレッスン」を連載しているが、その中に「多摩の地域史が世界史につながる瞬間」を執筆している。「多摩という地域は一体何か」を伝える意味でこの論考を書いている。地域に対する思いや関心を深めれば深めるほど、その地域が世界史につながっていることに必ず気がつく。
例えば、多摩地域から郷士の青年、近藤勇以下、後の新撰組がなぜ幕末維新の動乱期に京都まで上り活躍したのかが、この地のDNAを考える鍵になる。さらに多摩地域には八王子千人同心という組織があった。徳川家康は、自分が滅ぼした武田家の騎馬武者隊を、半士半農で江戸の西にある天領の治安活動にあたらせた。日光東照宮の警備も八王子千人同心が拝命していた。
さらには幕府が倒れる67年も前に、千人同心100人がロシア接近のため蝦夷地に向かい釧路の白糠と苫小牧に入植する。ペリー浦賀来航から半世紀も前にロシアからラックスマンが根室に現れている。その約10年後にはレザノフが長崎に来航しているが、その緊張感を東北雄藩だけでは抑止できず、彼らに白羽の矢が立ったのである。
さて明治新政府の下、多摩地域は幕府直轄地であったため、多摩の人々には支配層に対する「なにくそ魂」が生まれる。これが後に多摩に「自由民権運動」が吹き荒れた要素の一つにつながり、戦後多摩になぜこれだけインテリジェントな人が多いのかということにもつながる。大学卒の優秀な人たちが多摩ニュータウンに住むようになっただけではなく、蓄積されてきたDNAのなせる業だと考えられる。
「多摩」は地名ではなく思想である。これを多摩地域に生きる人たちは考え、深めなければならない。
異次元高齢化社会と多摩
2016年の発表統計で一番驚いたのは、「80歳人口が一千万人を超えた」ことである。100歳人口は7万人を超え、65歳に至っては3500万人を超えている。2050年になると、100歳人口は53万人となる。80歳以上は1600万人、65歳以上は限りなく4000万人に迫る。
そこで私は「異次元高齢化」という言葉を使っている。日本の人口が一億人を超したのが1966年。2048年から2053年には日本の人口が1億人を割ると推計されている。2008年に1億2800万人でピークアウトした人口が「また1億人に戻る」と考えがちだが、全く違っている。1億人を超した1966年、65歳以上の人口はわずか6.6%、660万人いなかったが、1億人を割るときの65歳以上人口は限りなく40%で4000万人である。
異次元高齢化社会へと向かっていく多摩地域を考えるキーワードが「国道16号線」。高度成長期の日本は自動車・鉄鋼・エレクトロニクスで国際社会から外貨を稼ぎ、産業国家を目指し首都圏に産業と人口を集積した。千葉から埼玉、東京をベルトのように取り巻く国道16号線沿いに団地、ニュータウン、マンション群を作ってきた。1971年に入居が始まった多摩ニュータウはまさにそのシンボルマークである。
その地域が高齢化している。団塊世代を先頭世代として高齢者ゾーンに差し掛かり、次々に定年退職する時代を迎えている。さらに世帯構造が変化し、今日本は急速に単身化している。全国の単身世帯34.6%。一人親家庭や夫婦のみ世帯も時間の経過で単身化する世帯のため、それを含めると64%である。そういう社会が国道16号線沿線で突出する形で進行してくる事実が、異次元高齢化社会の話つながるわけである。
この高齢化社会を今後どうしていくかについて、私は「“知の再武装”に関するトライアル」が必要になると考えている。100歳人生を考えると、60歳から更に40年生きなければいけない。それは会社生活とほぼ等しい年数である。大学4年間で学んだ知識と会社の現場体験だけで、その先の40年間を健康でポジティブな形で組み立てられるほど甘くはない。
そこに高齢者を活かすシステムとして社会的にも貢献し、手ごたえのある形で参画するプラットホームを造ることが必要になる。多摩大学でもシルバーデモクラシープロジェクトとして農業参画を始めているが、横浜でも様々な経験を持つ高齢者が関わることで、農業参画が一大プロジェクトになった例がある。今後は、高齢者がより有効に参画し貢献できるプログラムを作ることが、地域力高めていくことにつながると私は確信している。
交通インフラの変化と多摩
もう一つこの地域に重要なことは交通インフラの変化である。私は国土交通省のスーパー・メガリージョン構想検討会の委員としてリニア中央新幹線などの高速交通ネットワークがもたらす変化を審議している。
10年後には「橋本」にリニア新幹線の神奈川県駅ができ、品川と10数分で結ばれる。検討会では東京名古屋間が40分となることに議論が及びがちですが、私は中間駅インパクトが重要だと発言している。相模原と甲府が10数分でつながり、名古屋と甲府も30分で行けるようになる。この中間駅インパクトの方が重要だと考えている。
多摩地域を考える上で、これからは総合交通体系の変化を主眼に入れた活性化や参画が重要になる。リニア新幹線は主に人流、圏央道は人流と物流、このクロスが多摩地域をどのように変えるかが大切である。品川から10数分で相模原に帰ってきた人が、多摩ニュータウンにどのくらいの時間でたどり着くのかが重要となり、二次交通をきめ細かく、また柔らかい発想で考えなければならない。
「多摩地域に込められた歴史・DNA」「異次元高齢化とは何か」「多摩地域の交通インフラの変化を視野に入れる重要性」その相関性を見据え、トータルパッケージで構想をすることが、地域の健康や少子高齢社会の課題などに対応していくために必要である。
多摩大学学長 寺島 実郎